出雲崎町:妻入りの街並み
江戸時代、徳川幕府の直轄地(天領)であった出雲崎は、佐渡金銀の荷揚げや北前船の寄港地で、北国街道の宿場町として栄えました。
廻船問屋街、旅館街が立ち並び、小高い丘と日本海に挟まれたわずかな平場に約2万人もいたと言われ、越後で人口密度が一番でした。
多くの人が居住できるように間口(まぐち)が狭く、奥行きの長い妻入りの形式がとられていました。
また、当時は間口によって税金が掛けられていたとのことで、二間や三間半の家が海岸線に沿い約4kmも続いており、これは日本一の長さとなっています。